ブラジリアン柔術黒帯までの道のり~紫帯編~

2009年8月の全日本マスター柔術選手権を最後にまたしばらく柔術の大会参加には疎遠に。2010年2月いっぱいで約8年間所属していたピロクテテス新潟を卒業し独立に向けて突っ走ってた頃で、時間ができれば実家の作業場を改修していた。その話はこちらで書いてあります。

2010年3月にサイジム完成。今思うとこんな外観でよく会員来たよな、、中も作業場にただマットとリング付けただけだったから冬だとストーブ付けても室温ほとんど上がらなくて5℃くらいだった。ちなみに3月1日にOPENしたサイジムの最初の稽古は柔術でした。

ピロクテテス新潟からも多く来てくれました。もちろん柔術指導は山田さんがやっていました。そしてその2週間後の柔術クラスで山田さんから紫帯を頂きました。当時は俺が紫帯なんて巻いていいんだろうかってずっと思ってた。

そんな2010年の柔術クラスは週1回月曜日だけ山田さん指導の下にやっていた。当時の写真見てみたら結構みんなやってんだね~懐かしい写真も何枚か見つけた。みんな白帯で初々しいね!

そんな2010年11月28日に東京で柔術の国際大会があるということで 山田さんと大久保君に誘われて1年ぶりに柔術の大会に出場。正直まったく自信がなかった、、、

試合は簡単に相手の引き込みに付き合ってそのままスパイダーガード解除できず定階級別のペナ級では0-0(A1-0)で初戦敗退。このとき一緒に無差別級もエントリーしていてもう吹っ切れてやったら、初戦テイクダウンからのパスガード、2回戦もテイクダウンからのパスガード、準決勝はテイクダウンするもスイープされるもアドバンテージ差で勝利であれよあれよと決勝戦。そして決勝の相手は階級別で負けた選手。絶対引きんでくると思ったから先に引き込んでやろうと開始と同時に引き込んだら、案の定相手も引き込んできて、お互いシッティングガードからすぐに俺が立ってアドバンテージ。下からの攻撃はもうわかっていたから全部凌いで0-0(A1-0)で優勝。

紫帯でも結果が出て少し自信もつき2011年5月に行われた全日本マスター柔術選手権に出場。まずは階級別で初戦はパスガード、準決勝、スイープされるもテイクダウン、アドバンテージ差で、決勝パスガードで優勝。続きまして無差別級初戦に110㎏くらいの選手とあたってテイクダウンされ下から攻めるもすっとつぶされ2-0で敗退。

東京国際で無差別級で優勝、 全日本マスターで階級別で優勝できたので、2011年11月に開催された東京国際柔術トーナメントで2階級制覇を目指してエントリー。今回は完全に優勝狙って試合に挑んで階級別準決勝はテイクダウンからのパスで、決勝は0-0のレフリー判定で優勝。無差別級は初戦は0-0(A2-0)準決勝は腕十字、決勝戦は前回のマスター柔術無差別級で負けた選手。体重差が40㎏近く差があり前回も下になってからは返せなかったので上とって勝負上とって勝負って試合に挑むも本日5試合目、さらに相手のプレッシャーになかなか勝負できず、逆にこのままテイクダウンされたほうがやばいのではと弱気になってしまい、飛びついて引き込むも、上からの噛みつきパスを凌ぐのが精一杯、下からスイープ、三角狙うも不発。このままだと負けてしまうと思い、すきを作って立って勝負。意を決してタックル行くもつぶされる。でももう引き込まないで絶対上上で行くと決めていたら相手が引き込んできて、残り1分パスして3-0で判定勝ちで優勝。念願の2階級制覇。しかも狙ってだったんですごく嬉しかった。

そのまま会場にいる中井先生に茶帯の許可をいただき、中井先生にシューティング柔術だね~と言われました。実際のその通りで自分がやってきたのは柔術衣をきたグラップリングというか修斗だったんだよね笑

これが紫帯時代のお話。2010年の3月に紫帯を巻き、2011年11月に茶帯を頂きました。紫帯時代の戦績は12勝2敗(1S)でした。これからなが~~い茶帯時代を迎えます。つづく。

白青帯時代はこちら

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