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辛かったプロ時代⑭~ピロクテテス新潟編~

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辛かったプロ時代⑭~ピロクテテス新潟編~

辛かったプロ時代⑭~ピロクテテス新潟編~

2025/02/02

2009年からスタートです。

2月に大阪のMMA「Power gate」から試合の話をもらい、出場。当時の対戦カードはこちら

相手は地元大阪の選手で修斗新人王トーナメントで準優勝した金山康宏選手。

再起を図ったけど結果はまたしてもTKO負け。

しかも目に膝をもらい、目玉を抑えてる骨が骨折。そのまま病院に行くも、吐き気が止まらず。ずっと救急車に乗りながら吐いてた。

 

こんなはずじゃなかったと精神的にも肉体的にもボロボロになりながら大阪の病院で一人で待っていたのを思い出す。

 

帰りの飛行機を待ってるとき、風田さんに自分のジムを持ちたいです…って言ったのはこの時。そのときは俺がかなり落ち込んでいて、風田さんも、おう…そうか…みたいな感じだった。

 

ということであっけなく俺のプロ時代は終わった。

なんもいい思い出はない。

 

勝つまでやりたかったけど、今でもエレベーターに乗ると頭がぐるぐる揺れて、ふらふらする。続けなくて良かったと思うし、風田さんももうやらせちゃいけないと思っていて試合の話を断っていたかもしれない。

 

目のほうもずっと物が2重に見えていて、あと1週間経ってもこのままなら手術しなければならないと言われ、手術は嫌だったので、最後の日まで待ちますって言ったら、ほんとに最後の日に手術しなくてもいいくらい回復して、結局手術はしなかった。

でも今でも下を見ると物は2重に見えるし、左目は少し陥没している。

生活には支障ないけど。

 

そんなこともあり、ジムは連絡もしないで2週間くらい休んでいた。

 

久しぶりにジムに行ったら、風田さんになんの連絡もしないでなに休んでだよ心配したんだぞと言われ、お前みたいなやつは帰れよって怒鳴られ、なんも言えずそのまま帰った。

 

そのあとすぐに謝って、また練習をし始めた。

 

今思えばあのまま腐らず、すぐに謝って良かった。

格闘技を辞めるという選択肢は全くなかったけど、あそこでそのままだったら、きっとジムに行くことがどんどん億劫になってきっと辞めたくなくても辞めることになったと思うから。

 

もちろんあそこで辞めていたら、今の俺はないわけだし。

 

だからジム生にも少し思い通りにならなかったと言って、すぐに辞めないでほしい。

試合に出たジム生は結構しつこく辞めないほうがいいと言うんだけど、最後は本人の意思なのでしょうがないんだけどね…

 

 

 

話が少しそれたけど、ジムを作りたいと言ってちょうど1年後にSAI-GYMを祖父が作った建築会社の一角を改修してジムをOPENするわけですが、その頃実家ではいろんなことが起こっていて、俺は巻き込まれるが嫌で、勝手に家を出て好きなことをやっていて、祖父がジムを作るなんて絶対反対すると思っていた。

 

そんな祖父との話はこちら

 

 

まだピロク時代の思い出があるのでもう少しだけ続きます。


2009年02月01日  mixiより

KO負けでした。
しばらく休みます。


 

 

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